ヨーロッパで夢のコンチェルト -ディプロマコンサート①

学校生活

昨日(5/28)のことですが、リスト音楽院ピアニストソリスト課程のディプロマコンサート(修了コンサート)の一つとして、グリーグのピアノ協奏曲を演奏してきました!

ヨーロッパで、ヨーロッパのオーケストラとのピアノ協奏曲という、夢のような経験ができて本当に幸せな時間でした。また、終演後も、生配信を見てくださっていた各国に点在する友人・知人からの温かいメッセージに心振るわせております!!

ということで、今回はコンサートでの思いやら、リハのことやらを綴ろうかと思います。

ディプロマコンサートとは

さて、まずディプロマコンサートとはなんぞや。というお話。

本科生(レッスンのみを受ける留学ではなく、授業なども受ける留学のこと)としての音楽留学をすると必ず通らなければならないのが「ディプロマコンサート(=diploma concert)」。

かっちょいい響きですが、これはつまり日本でいうところの卒業試験や修了演奏会のようなもの。卒業時に、決められた課題などを盛り込んだプログラムの演奏をします。

去年もディプロマコンサートをやっているのですが、あれはMA(修士)。今年はその上の課程にあたるピアニスト・ソリスト・コース(英語でいうとHighest Specialized Solo Piano Performanceというこれまたかっちょいい名前になる)のディプロマコンサートでした。ソリストコースの場合の課題は協奏曲とソロリサイタルです。(そう、ソロも後日やらなければならないのです泣)

協奏曲が課題

はい。協奏曲ということは、つまりオーケストラも必要なわけです。

リスト音楽院の場合、通常ディプロマコンサートで協奏曲を弾きた場合は自費でオケを雇う(それもそれで大層な話である)か、友人同志で即席オケを作るか、ピアノ伴奏での演奏という手段を取る必要があります。しかし、ソリストコースは元々コンチェルトの練習という授業があるためか、全ての準備を学校側が整えてくれました(まぁその授業コロナで無くなったんですけどね)。オーケストラはFailoni Kamarazenekar(ファイロニ室内管弦楽団)というオペラ歌劇場オーケストラのOBで構成されているらしきプロオケ。指揮はリスト音楽院でも教えていらっしゃるGábor Horváth(ガーボル・ホルバート)氏。実力はもちろん、人格的にもすんばらしい方々でした!!

狭き部屋から広大な舞台へ

さて、リスト音楽院は実は11月頭あたりからずーーーっと学校に入れない状態が続いています。現在でさえもようやく練習棟のみ使用が許可されるようになったような状況です。

そんな状態でしたので家でしかピアノを弾かない日々、つまり狭い空間&小さなピアノ(雑調整)での感覚で半年ほど過ごしてきたわけです。しかし本番の会場はリスト音楽院の、さらにはハンガリーの誇る広大かつ豪華絢爛な大ホール(Nagyterem)。

このホールのピアノは(ブダペストでは珍しく)素晴らしく調整されたSteinwayのフルコンサートグランド(最大サイズのやつ)。残響も自分の部屋とは比較にならないほどに多く、またそれ故に限度感じられないほどダイナミクスや表現の幅が膨大です。

そんな環境では、鳴る音も響く音も全てが違いますし、さらに今回は周りにオーケストラもいます。耳の使い方も体の使い方もまるっきり異なるため、2日間のリハでどれだけ自分を対応させられるかが勝負所でした。

リハ1日目

本番の2日前。ホールでのリハーサルが始まりました。

(実は1週間前に指揮者との打ち合わせだけはありました。打ち合わせといっても一回指揮者の前で演奏してつつ、どんな感じかをお互い把握する程度)

今回は運良く全てのリハを同じ会場・同じ楽器で行うことができました。

この大ホールで演奏するのは昨年のディプロマコンサートに次いで2度目。この1度目のリハは「相変わらず素晴らしいピアノだし、内装は豪華でかっこいいし、周りにオケのメンバーがいてテンションが上がるし!!」というハイテンション野郎で臨みました。

この日はお昼と夕方の2回リハがあったのですが、初回は「とりあえず全部ずらーっと通してみよう」というコンセプト。一応自分なりには「どこにどういう楽器がいて、いつこの楽器が出てくるのか」というようなイメージはしていたものの、やはりそれでは全く足りないくらいいろんな音が聞こえてきました。

背中側から聞こえるヴァイオリンの刻み、正面から聞こえてくる厚いバス、自分の左から奏でられる管の旋律。どこで鳴ってるのかよく分からないティンパニー笑(場所を把握してなくてどこにいるのか謎だった)

最初はどこにどうアジャストしたらいいのやら。。。って感じでした。

数時間のインターバルを開けて2度目のリハ。

ちなみにオケとのリハでは、基本的にハンガリー語でやりとりがされます。ただソリストの僕はハンガリー語に長けていないので、何か僕に伝えてもらうときには英語を使っていただきました。

それでもオケの皆さんとも少し仲良く?なって、挨拶をしたりアイコンタクトで「szia!」とやったり?できました。(チェロのお兄さんが日本語で挨拶してくれる笑)

1度目に録音した音源で復習したこともあってか、先ほどよりもオケの音をよく聴けるようになり、自分のテンポだけで押し切るのが得策でないことを察しました。(落ち着いて考えてみれば当たり前である。)

その日はなんとなくオケに合わせるべきポイントを把握できたのが収穫でした。帰ると、久々に大きなピアノ×大きな会場ということで普段使っていなかった筋肉や耳を最大限使ったためかへっとへとでした・・・

リハ2日目

(▲FailoniChamberOrchestraのFacebookページから引用)

なんだかこの日はものすごく緊張していて、ソロパートも変なところで変な音を弾いたり、暗譜こわい!!!となったり、いろんなことがありました。

昨日よりも格段にオケの音が聞こえるようにもなっていました。オケの音が聞こえるのはとてもいいことではありますが、聴きすぎると今度は自分が持ってかれてしまうのです。

以前サキソフォン奏者で即興演奏の師である平野公崇先生に言われたことがあります。

自分も相手も100%・100%で聴かないとだめだ!!

と。50/50ではなく100/100なのが大事だと。

もちろん場所によってピアノが伴奏に回るシーンではより多くオケに耳を傾ける必要はあるのですが、とにかくどちらも強く意識して演奏することが肝心なのです。たぶん。そう思ってやりました。

・・・まぁ緊張は、家のピアノの上に置いてあった、似た厚さの違う楽譜を持ってきてしまったことも原因かもしれませんが笑

そんなこんなで本番当日

朝はとても寝心地悪く起き(6時。普段の数時間早い)、二度寝を決行。無事ちゃんと眠れて、その日がスタートしました。体を温めたくて二回熱めのシャワーを浴びました。それでも落ち着かずちょろっと弾いては叫びたくなるを繰り返し・・・

もういいやゲネプロいこう!!とちょっと早めにホールへ行きました。

このコンサートではソリストコースの3人が演奏したわけですが、僕の前がハンガリー人のゲルゲイによる皇帝。僕のあとが同じ時期にハンガリーへやってきて共に学んだ山根ゆいさん。

ゲネプロで彼の皇帝とホールの響きに浸りつつ、ライブ配信するようのカメラの数々を眺めていました。(ちなみに山根さんはリストの1番を演奏しました)。10~20mくらいは離れているところからピアノの手元だけをアップにしているのが見えて、なんだか感動していたとかはまた別の話。

そういえば、楽屋がとても豪華で驚きました。何十回もこのホールに通ってコンサートを見てきましたが、裏手にはほとんど足を踏み入れたことはないので、この学校にはまだいろんな知らない部分があるのか!!と新鮮でした。

そして本番

さてさて、これまでの道のりをずらーーーっと書き記してきましたが、本番というものはきてしまうんですねぇ

『一度舞台に向かって足を進めたらもう引けない。やるしかない。腹をくくれ!!!』

と自分に言い聞かせて登壇しました。オケのみなさんの暖かな表情と視線で迎えられ、コンサートマスターと握手、からのお辞儀。椅子をいい感じに調整し息を整え、そして指揮者と目を合わせる。するとティンパニロールが始まり、、、

あとは為すがまま突き進んでいったわけですが、リハよりも一層感情の乗ったオケのサウンドやパワーをひしひしと感じつつ、自分自身もやはりリハの数段上のテンションで畳み掛けている、という実感がありました。緊張は終始していたけれど、とても楽しく、充実感がありました。

(あとで配信を見返したら、自分の顔が思いの外、特にオケとのアンサンブルをしているときに表情豊かで恥ずかしいやら面白いやら、それまた新鮮な気持ちでした笑)

そのうち映像データをもらえると思うのでそのときまたYouTubeなんかで公開しようかな??

→しました

終演後、我が師ドラフィ先生がとても喜んでくださっていたり、指揮者の先生ともよかったね!!とお話をしたり、何より遠い各地で配信を見てくれいてた友人・知人の数々からたくさんの温かい言葉をいただいたりして、とても心が暖かくなりました。みなさんありがとう!!!

(▲指揮者のGábor Horváth氏と)

(▼我が師ドラフィ先生と)

ある一つの集大成であった今回の演奏で、自分としても良い演奏ができたかなと思います。が、これはあくまで1回目のグリーグであって、この先何度も演奏していけばまた演奏も変わっていくことでしょう。「あのマツーエフでさえツアーの最初と最後では全く別物だった」とはドラフィ先生の弁。願わくばこの先何十回も演奏機会が訪れ、その都度この曲への理解が深められますように!

そしてやく10日後のソロディプロマコンサートも無事行きますように(涙目)

ということで、それでは次回までsziasztok!!!

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