先日7月1日の朝ブダペストからヘルシンキを経て日本へと帰国していました。その後PCR検査やら14日間の自宅待機やら、他にも道中いろいろあったので、この特別な体験を記事にしておこうと思います!
あ、PCR検査は陰性でしたよ!!(大事なことなので先に言う)
帰国に至るまでの長い道のり
まず最初に今回の旅程を書いておくと、
7/1にブダペストから出発、フィンランドのヘルシンキを経由し、7/2の朝に東京羽田空港へ到着、というフィンエアーとJALのコードシェア便でした。
ブダペストは日本との直通便がないので、必ずどこかの空港で乗り継ぎをしないといけません。しかし、日本よりも早くコロナウイルスの危機が騒がれ出した3月4月頃のヨーロッパは、その頃各国が国境を閉じ、入国を厳しく制限する事態へとなっていきました。5月に入る頃には全ての空港が閉められ、すると当然飛行機は全て欠航となりました。
コロナがヨーロッパで騒がれ始めた頃、ブダペストに限らずヨーロッパにいる留学生にとって共通の大きな話題がありました。
『帰国するべきか否か』
ロックダウン
「ウイルスの震源地」とされたヨーロッパに住む日本人は、この先ヨーロッパに留まるべきか、それとも日本に帰るべきか、と悩ましく考える日々を送ることとなりました。
ヨーロッパに留まる選択をすれば、おそらくしばらく日本へは帰れない。しかし日本へ帰る際に使わなければいけない空港や飛行機は果たして安全なのか…それに当時SNSなどで垣間見る日本の様子は明らかに警戒心が足りていない…
今思うとあの頃はまだ「夏には落ち着いてるだろ」と思ってたよなぁ…うーむ。。。
そして、世界はロックダウン状態へと突入。ハンガリーもかなり早い段階で国境を閉じ、「1度外に出たら戻れない」という状態に。
帰れる日を狙う日々
ロックダウン中、僕は運良くあからさまな差別には合いませんでしたが、中には外国人であるだけで罵詈雑言を浴びる、というような経験をした人はいたようです。
そして留学生、外国人の話題は「帰るか否か」に加え、「どこどこの航空会社はまだ運行している」「いや、あそこは経由国に入るのが危ない」「あの人はどこどこを経由して帰れたらしいぞ」などといったものへと変わっていきました。
国によっては留学生は強制帰国させられたところもあるようなので、勉強しようと思えば居続けることができたという点で、ブダペストはまだ良い方だったのかもしれません。
まあそんなこんなで、結局6月半ばまで国境が大々的に開くことはありませんでした。(7月半ば現在、ハンガリーは未だに国境を完全に開けてはいません。)
今回の帰国便
その後いろんな噂や情報を仲間同士で集め、運良く見つけることができた「ミュンヘン経由羽田行きのANA・ルフトハンザによるコードシェア便」を一度予約したのですが、なんとその数日後に『欠航です』と連絡がきました。同じANAルフトハンザの別便振替となかったため払い戻しをしてもらった上で他の便を取り直すハメに…
とそこで予約しなおしたのが、今回のJALフィンエアーのコードシェアによるヘルシンキ経由羽田行きでした。
ちなみに、この7/1というのはフィンエアーの運行再開日だったため、この便がヘルシンキ羽田間の再開後第一便だったそうです。手書きのメッセージ付きの記念品をもらったり、CAさん(JAL)が本当に楽しそうにお仕事をしていたり、「ああ、みんな、待ち望んでいたんだな。」と感じました。
(欠航からの取り直し、というのを3〜4回繰り返した人もいたようなので、ラッキーな方でした)
閑話休題
はい、なんとここまで前置きです(文章のバランス下手か)
今回書きたかったのは飛行機の中やフィンランド・ヘルシンキ空港の様子、そして羽田到着後の様子。笑
ヘルシンキ空港のようす
見てくださいこのシャッター街感!
ヘルシンキ空港は音大留学生御用達としても知られる空港で(楽器関係に優しいらしい)、僕自身、経由地としてよく使うのですが、こんな状況想像もしたことありませんでした。
普段は通路両側、たくさんのお店が賑わっていて人もたくさんいるのですよ。それがほぼ全て閉店していて、もちろん人も少ないので静か。「歩いてれば一人二人すれ違う」レベルです。ヨーロッパのハブ空港にあるまじき閑散さ!!
空港では全体的にウイルスを警戒したピリピリした雰囲気が漂っていました。消毒の匂いもどことなくするし、なんだか病院的な、そういう寒気にも近い潜在的な恐怖心を感じましたよ。いや、ほんと怖かったから!
普段どんなに空いてても15分くらいは並ぶパスポートコントロールも数秒ですい〜〜っと通れてしまいました。これに関しては楽でよい。
あ、ムーミンショップはやってました笑笑笑 さすがフィンランド。
飛行機のようす
ヘルシンキから羽田はJALの機体で、大変快適でした。
空港もですが、基本マスク着用が義務です。フェイスシールドなどの着用要請はありませんでした。おそらくJAL側のサービス意識として「少しでも緊張感を感じさせることなく安全に」のようなものがあったんじゃないかなぁ。それは決してウイルス対策を怠っているということではなく、過剰な心理的ストレスをかけることなく対策を徹底させる、というJALのプロ意識なのではないかな、と。
まぁ勝手な想像だけど。
実際、CAさんの気遣いや表情に大変安心感とリスペクトをおぼえました。JALのCAさんすごい。
混み具合はというと、エコノミーの座席は半分以上は空いていたのではないでしょうか。ビジネスは一人いたかな?くらいでした。空いてるならそっち座りたかった笑。
まぁ、そもそも観光客のいない飛行機というのも相当レアですよね笑 その日の乗客は少なくとも3ヶ月以上、コロナ蔓延の中心地とされるヨーロッパでのロックダウンに耐えてきた、言うなれば戦帰りの猛者たちなわけです。そのことに気づいたときは感慨深いものがありました笑
機内食も、噂では簡易的なものしか出ないと聞いていたのですが、実際はそんなことなくしっかり美味しい料理をいただきました♪
日本到着!からのPCR検査
フライトでは何の苦もなく無事に羽田へと着陸。
普段と違うのは、機体から降りる際に席のブロックごとで「◯番〜◯番の席の方、どうぞ〜」と管理されてたことです。あ、乗る時もそうでした。書き忘れた。
これに伴うストレスとかは特になく、むしろゴタゴタしないから楽だったんじゃいかな。
飛行機から降りた乗客は一度広めの空間に集められ、PCR検査と入国後の生活についての説明を受けます。説明は事前にキャッチしていた情報通り、
- PCR検査の結果は陽性の場合は即日、陰性の場合は4〜5日後に連絡が行く、ということ。
- 家族の迎えがある人は結果を待つことなくすぐに解放されること。
- その後14日間は自宅にて隔離&不要不急の外出を控え、公共交通機関は使用してはいけないこと。
という内容でした。
またその説明に対する「公文書」という形での同意書にもサインしました。
その後、家族の迎えがある人からPCR検査に向かいます。(乗客の9割が迎えありでした)
空港の通路という通路を歩かされたんじゃないかというほど遠回りのルートを通ってついた検査の場所は、空港の一部にパーテーションでいくつかの簡易的な部屋(というか、屏風で間仕切る程度のもの)で、そこで防護服を来た検査員さんに綿棒を鼻の奥に突っ込まれます。
痛い、というほどの不快感は感じませんでしたが、ぐりぐりされるとは知らなかったので驚きました。花粉症で痒くなるような場所をグリグリされます笑
検査自体はとても簡単で、その後「感染拡大地域に滞在していました」というピンク色の紙を受け取り入国のパスポートコントロールへ。
ここからはもういつもと一緒です。預け荷物を受け取り、税関を通って、空港のロビー。
14日間の自宅待機
ということで、家族に迎えにきてもらっていた僕は車で自宅につき、そこから14日間の引きこもり生活を送っていました。
これ、あくまで「不要不急の外出を控える」という『要請』なんですが、そうはいっても自分がウイルスを持っているかもしれないし、田舎で「外国から帰ってきた」と変な噂になっても怖いので、だま〜〜ってこっそり過ごしていました笑
自宅待機中は、毎日保健所からの健康チェック連絡がきます。
僕は「<厚生労働省 帰国者フォローアップ窓口>というLINEでのアンケート回答」という選択肢を取りましたが、他にも「自動音声の電話に肉声で答える」という手法もあったようです。
これ、毎日来ると聞いていたわりに、最初の1週間くらいは何の連絡も来ませんでした笑 まぁね、忙しいよね保健所。
ちなみにPCR検査の陰性結果報告がメールで届いたのは7/6。帰国から5日後でした。
国が求めているのは帰国者本人のみですが、我が家では大事をとって同居している両親もしばらく仕事を休むこととなりました。ウイルスを移してしまってからでは、洒落になりませんからね。
はい!ということで!!
めっちゃくちゃ長くなってしまった汗
以上、ヨーロッパでのロックダウンを経験し、なんとか日本へと帰国した、という経験談でした!
それではまた次の記事までSziasztok!!